今回の話題は、尖閣問題に関するものなのだが、フォーラム主催者である言論NPO工藤代表の説明を振りかえってみたい。
政府間の対話がない現状で民間レベルで、政治、経済、安全保障、メディアの4分科会で問題を直視し、率直で誠意ある意思疎通を行うことを目的としていた。
尖閣問題に関しては、双方(国民、メディア、政府を含め)が領有権を主張、政府間の対話も実現せず、益々加熱する危惧があるため、冷静な相互の理解のための対話を呼びかけたというもの。
しかし、そもそも、工藤代表はじめ、日本側の言い分は、尖閣諸島は日本固有の領土であり、中国はそれを理解する必要があるという姿勢も見える。
これでは、中国側に一方的に、理解を正すのみであり、何をもって、解決の糸口とするのか理解できないものがある。
尖閣の歴史的また、日中の過去のやり取り、中国側が問題とする論点、米国の関わりを理解しているのか疑問に感じるばかりだ。
解決をどの点に置くのか、単なるイベントで終わるのか、ポジションも目的も明確ではない。
尖閣問題は、そもそも不明瞭な扱いから生まれている。
問題は、1895年の領有宣言までの経緯、米国の施政権下となったことによる混乱、72年の周恩来と78年の鄧小平の棚上げ論議に対する対処、民主党政権における国有化、安倍総理の棚上げ事実の無視など、あらゆる場面に存在し、中国側の反論を許す状況にある。
話をどこへ遡り着地させるのかがポイントとなるが、どのケースにおいても、双方の理解が一致することはなかろう。
ここで、改めて尖閣に関する問題点を検証してみたい。
1.まず、1885年に領有の請願が日本政府に出される。しかし、中国名が付いていた尖閣三島の領有は日中問題に発展するとの井上外務大臣、山縣内務大臣の判断で見送りとなる。
2.1895年、閣議決定により、日本領有を記す杭を打つことを秘密裏に決定(実際に杭を打ったのは、国連エカフェによる周辺の資源調査発表により、台湾が尖閣領有を言い出した後の1969年)。3ヶ月後に日清戦争に決着が付き下関条約を調印。その際、日本は中国の反論を抑え、一方的に台湾の割譲を行う。
当時は、列強の仲間入りを目指す日本は、国際法上の先占の法理を理由に領有宣言とし、現在に至るまで、尖閣は日本固有の領土と言及することになる。
ちなみに、現在では、先占の法理は理解されるものではない。
3.終戦1945年から沖縄返還の1972年までは、米国の施政権下にあり、台湾、中国、日本の漁船は、争いなく漁業をしている。
4.1969年(昭和44年)、国連アジア太平洋経済委員会(エカフェ)が前年の調査結果をまとめ、尖閣諸島沖大陸棚に世界有数のの存在可能性を発表。
台湾、中国が尖閣の領有権を主張。日本は杭を打つ。
5.1972年、日中国交正常化時、周恩来が領有棚上げを言い出し、田中首相はそれを受ける。
しかし、暗黙の合意であり、書面では残っていない。外務省は、書面がない事で、やり取りを議事録から削除する。
6.1978年、日中平和条約締結時に来日した鄧小平が講演で尖閣の棚上げ、後世の解決に委ねることを言及。
7.民主党政権時、石原都知事による尖閣購入を言及、さらに、前原外務大臣が棚上げ事実が存在しない事を国会で言及。
8.2012年9月、APEC開催時、胡錦濤主席が野田総理に尖閣国有化に反論、抗議をする。
翌日、野田総理は、それを無視し、国有化に踏み切る。
中国政府は、これを、尖閣に対する理解の変更であると、大きな問題に発展、強硬な姿勢となる。
9.自民党安倍政権になり、尖閣を日本固有の領土と宣言し、中国包囲網政策に走る。
米国は、尖閣に関して、日本の施政権は認めるものの、領有権まで言及はしていない。
10.1972年の田中首相時代には、棚上げ論で落ち着き、1979年5月31日の読売新聞社説も棚上げを支持している。
11.総括
日清戦争終結のドサクサでの日本の尖閣領有は、固有の領土というには問題が残る。
中国は当時、日清戦争に敗戦国でもあり、また、国際法に追随できる状況、社会として成熟しておらず、曖昧であった事にも原因はある。
12.日本国内の認識不足
言論NPOの工藤代表は、フォーラムで中国に尖閣が日本の領土である事を主張する前に、自らの理解を深めることと、日本国内の世論をどうするのか、考える必要がある。
日本政府の理解をどう軟化させるかも同様である。
13.尖閣問題の緩和と解決にむけて
やはり、棚上げとすることが必要であろう。
さらに日本は、世界平和を先導すべく、尖閣諸島の共同領有を含む新しい枠組みの提案と、環境問題解決に向けた技術開発など、信頼関係のチャネルを構築する必要がある。
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