思い起こしてみると、これから話す内容は随所に現れており、自分を含めて反省する必要を感じている。
ある人が成功する前の話である。
往々にして成功者は人と異なる道を歩み、人の理解を超える行動を取る事が多いものだ。
しかし、人はそれを見て、変な人だと噂をする。自分達の事には触れずに、まるで珍獣を見るがごとく噂は広がるばかりだ。
後から、やっぱりあの人は前から人とは違っていたなどと、あくまでも評論だけで、自身のことと交合わせることはない。
日本人はどうも、人の噂が好きなようだ。人の不幸を見て自分の幸せを感じるようだ。人の良い面は、親が金持ちだったからとか、本人の努力など見ようとしない。
先のコラムのように、政治家の世界も全てがポピュリズムが原点になっている。これでは、改革など出来る訳がない。
中国に対しても、対岸の事件を喜び、鬼の首を取ったかのように記事にするメディアが多い。
米中関係も悪くなることを願っているメディアや国民が多いと感じる。
非常に残念なことだ。
北欧やドイツの政府やジャーナリストは、争いを回避し何事も上手く進めるため、様々な意見を発信するが、日本のメディアにはそれがない。何とか米国と中国を揉めさせて、米国を日本側に付けたいと必死だ。安倍総理も同様だ。
先日、海外から友人が来日し、中国や米国と比較し、日本の政治家の言動や企業の活動についての評価を受けた。
中国は、政治や社会システムに矛盾を抱えて苦悩する国であるが、様々な問題に明確なプロセスで立ち向かっている。米国も同様だ。
対する日本は、あらゆる面で矛盾に満ち、行く先、出口が分からず、全く理解不能との事であった。
様々な問題解決において、取るべき手段を取らず、意思決定も理解できないと言う。
中国外交戦略においても、常識的に行うことをせず、嫌がる米国に擦り寄っても効果がないのだが、それでもやめることはない。
今更、集団的自衛権は周回遅れの議論であり、中国との連携が深まる米国も必要としないかもしれない。
友人の一番の質問はこうだ。
例えば、麻生副総理のナチス発言。
常識的に言って、あらゆる事象、結果は何らかの意図があり、必要なプロセスが取られるものだが、日本にはそれがない。
ナチス発言も、故意なのか、戦略があるのかというと、それはなく、単なる知識欠如もしくは、失言だけに終わっている。
ナチス発言だけでなく、政治経済に関するあらゆる面においても同様の現象が見て取れるのだが、それで良いのだろうか?
現象や結果と、プロセス、戦略がマッチしない日本。
友人にはこう答えるしかなかった。
「それは、日本だから」
中国政府も同様に、
「日本政府は理解不能で、どう対処すべきか全く分からない」と、あらゆる件で質問攻めに合っている。
http://www.facebook.com/shimojok